院長コラム
HOME >院長コラム

・8月24日 生ハニカミ王子

石川遼君が試合で滋賀県に来るというので生観戦してきました。


生で見るハニカミ王子のそのさわやかさとドライバーの飛距離は10年前なら僕もいい勝負ができましたが、44歳の今では足元にも及びません。遼君もこの院長コラムを読んでるのか少しこちらを意識しているようでしたが、それでもプロ初勝利、優勝賞金700万円、16歳、おみごとです。


僕の16歳の時といえば、ちょうどインベーダーゲームがはやりだした頃で毎日母親の財布から1000円札ぬきとってはゲームセンター通いばかりしてました。そのうち親のお金も尽きてきましたがそのころ僕の周りでは5円玉にセロハンテープを7周半まいて100円玉に変えるという技術が極秘裏にあみだされ(僕はしていません、たとえしていたとしても28年前で時効です)、手作りの100円玉でゲームができるようになりました(その当時のゲーム機はなんてお粗末なんでしょう)ので、わずかのお金でゲーセンター通いができるようになりました(現在眼科医をしているY君はバッテイングセンターの横のゲーム機でそれを使ったのがばれて捕まりそうになったこともありました)。


しかし敵(任天堂?)もなかなかのもんで、ゲーム機を改良して僕らの手作り100円玉が使えないようにしてきたため、今度は5円玉の真ん中の穴に釣りの鉛のおもりを詰め込んでそれをカッターで削りさらに精巧な手作り100円玉を開発したのでした。
その当時世間では僕らのことを近江の蛇頭と呼び、僕らの技術は現在では北朝鮮でのニセ札作りに一部利用されてるようです。またその頃のゲーム機メーカーと僕らとの技術開発合戦はそのうちプロジェクトXで取り上げられるかも知れません。


しかしそうこうしているうちにインベーダーゲーム熱も冷め、その情熱は麻雀へと移行していったのです。
部活が終わって毎日麻雀、しかしそんな遅くから高校生が夜な夜な麻雀をするのに場所を提供してくれるご家庭もなくなっていきました。そんな時誰かが石山で制服のまま出入りできる雀荘を見つけてきて、そのうちあたかも各高校の対抗戦の様相を呈していきました。



さらに夜だけでは足らずに学校にも紙麻雀を持っていき休み時間に遊びーの、今度は部活をさぼってジャージに着替えパチンコ屋に行き雀球で遊びーのしているうち僕らの16歳は過ぎ去っていったのでした。



ということで結論としては生まれ変われるもんなら石川遼君に生まれ変わりたい、それが無理なら遼君のお父さんに生まれ変わりたいということが言いたかったのです。

次の記事へ
バックナンバーへ戻る >>